本質のプラトニズム

プラトンイデア論における本質とは、実在する、普遍的な、本質そのものだ。

ただ、彼の論の深まりによってその本質の住処は変わるんだ。まず『饗宴』。ここでの美のイデアを把握するのは鑑賞的直観だ。つまり深層意識下といってもよい。

ところが、『ソピステース』ともなると、イデアは極限まで概念化される。そう、個物と普遍者の立ち現れ方が、激変している。

それでもなお、変わらないもの、それは、イデアが実在する普遍者であることだ。経験的事物を内在的に規定するのがプラトンのいう普遍的「本質」そのものだ。同一の名前でよばれるものは、根源的実在のリアリティーを持つ。永遠同一の、まさに不変項として。

パルメニデス』では高貴なるもののみならず、およそ下品なものにまで「本質」を認めるに至ったプラトンは、ソクラテス的道徳倫理的価値の彼岸にある絶対的超越者にあいまみ得たと、ここにいえるのではないかと、思っている。